寒いやないかい!

  毎夏、”今年が一番暑い!”と言っているが、 冬にそういう思いをしたことはここ数十年もない。
ところが、今年の冬は ”地球温暖化ってホント?” というくらいに寒い。

  今日も北・東日本では大雪警報が出るほどの豪雪らしい。 我が家の庭も今朝は雪の薄化粧
をしておった。 来客と近所の飯屋へ行く道中も結構冷えた。そんな訳で昼から一杯ひっかけた。
尤も暑くても寒くても 朝からでも飲んでいるのだから、飲酒に気温など関係はないが・・・
午後一番の客には ”寒さと来客”を理由に一杯やったことにした。

  ブログはいつも深夜の仕事?だが、次の来客まで時間があるので珍しくも昼間に書いている。
それにしても寒い。 部屋には暖房を入れ、足温器まで点けてもダメで中(酒)からも暖めておる。

  昔は寒かったし雪も多かった。 S 製薬勤務時代に雪で車が動かず仕事に差し支えたことを
懐かしく思い出す。 幼少年期には雪合戦・雪だるま等も楽しめた。

                                       炭たどん無くて淋しい雪だるま

  冬で思い出すといえば何といっても 「スキー」 になる。学生時代、春から秋まではボートに
明け暮れていたが、冬場になると足腰を鍛えるという大義名分で山歩きやスキーに勤しんだ。

  冬山は危ないので、夏の終わりと晩秋には毎年「登山」に精を出していた。 山岳部でもワン
ゲルでもなかったが、日本の3、000 M 以上の山で登ってないのは「富士山」と南アルプスの
「赤岳」の 2山だけである。 (死ぬまでに富士山に一度は登ってみたいと思っている)

  スキーの方はゼミ教官が無類のスキー好きだったのでよくお伴をした。ゼミ旅行をスキーに
することもあり、やらないメンバーは仕方なく宿で酒を飲んでおった。 教授や助教授連中等も
参加することがあった。  学校でお目に掛かれなくてもスキー場でお友達をしていたのである。

  授業などは全く(4年次、ゼミ9回、一般ゼロ)受けてなかったので、試験にはホントに困った。
答案に「先生はこれについてお尋ねだが私はあれについて答える」と用意の答を書き、末尾に
「優に優るものはなし、良は良し、可も可なり、但し不可は不可」や「スキーヤーの誼でヨロシク」
と書いたりもした。 (残念ながら効果は無かった)

  ボート部現役を降りた4年の冬は1ヶ月余りスキーツアーに出掛けたこともある。「志賀高原」
を皮切りに北海道は「ニセコ」まで足を伸ばした。 大阪駅まで帰り着いたときに残金10円しか
無かった。 自宅までは定期券(偽造)のお蔭で助かった。

  ボートと山で明け暮れた学生時代、カネの方は専ら「アルバイト」で凌いだ。家庭教師の様な
実入りの良いものもあったが、体力を活かして色々の肉体労働もやった。

  50年前には「体力の塊」だったのだろう。風呂場で、ハラだけ出張り、痩せ衰えた体を見ると
情けなくなる。 まあテンコ盛りの失敗でアタマだけは往時より少し良くなったと諦めておこう。

  山は白金〜朝日を浴びぃて〜滑るスキーの風切る疾さぁ〜飛ぶは小雪か舞い立つ霧かぁ〜
おっおっおっこの身も駆けるよ、駆けるぅ〜  なんて歌いながら滑っていたのが懐かしい。

                                             僕の細道 by 真照

相撲界

  朝青龍の引退でマスコミや世論が沸いている影で、理事選の方は片隅へ追いやられてしまったが、
此方の方が大きい問題である。 一人の不埒者が去ったくらいで相撲界が良くなるとは到底思えない。

  情報公開が著しい日本で、これほど徹底した閉鎖社会が未だに存在していることは不思議である。
完全に社会から鎖国していると言ってもよかろう。 例を挙げれば枚挙に暇がない。

  それはさておき、この世界に学ぶ処も無いわけではない。  その昔、私も羽振りの良かった頃には
「タニマチ」もどきをしていたことがある。

  相撲が終わると上客を巡業部屋へ招待してくれ、チャンコ鍋をご馳走してくれる。大きい鍋の周りに
客と親方・関取衆が集まり宴会が始まる。 幕下以下のソコソコまではお酌係りになる。 それ以下は
道場の廻りの壁にズラリと張り付いてジッ〜と見ている。

  考えてみれば前相撲を取った力士ほど早く土俵に上がっており、腹も減っている筈であるが、後で
取った方が先に食う。褌担ぎは一番あとになる。 生唾を飲み込みながら我慢の子をしている。

  更に気の毒なのは、美味しいところは先輩が食べてしまうので、最後の方には汁しか残っていない。
これでは沢山食べて大きくならねばならない下の方は堪ったものではない。あとで親方に理由を聞くと
”早く飯を食いたかったら、強くなって上がって来い!”という教育の一環だとのたもうた。

  飯でさえこんな状況だから、稽古場でのシゴキなどは如何ばかりかと思った。今時の日本の若者で
これに耐え得るハングリー精神を持つのを捜すのは至難の技といえよう。 偶々体が大きくて相撲界へ
入るのも居ようが、厳し過ぎて脱落していくのも多いと聞く。 日本の相撲取りが弱い理由も理解できる。

 食事会が終わると、北新地へ繰り出すのが定番であった。 当時の関取衆は朝青龍と違い、流石に
2次会へは来なかった。 当時の私はウイスキーボトル一本くらいは楽勝で大概の酒飲みには負けぬ
自信はあったが、現役を引退して大分経つ親方には参った。此方の酒と先方のウイスキーのピッチが
いい勝負だったと記憶している。

  新地の料亭で飯を食ったときのエピソード=付き人の言、”横綱が箸を持っている間は次々と料理
を出して下さい。箸を置かれた時は休憩です”と。この横綱、30分くらい箸を置きよらなんだ。

  他にも理事長はじめ親方衆や著名な関取衆と飲む機会も結構多かった。奴等の体力には兜を脱ぐ
ほかなかった。 毎日150KG同士がぶつかりあって身体を鍛えているのだから無理もないと思った。
ある力士が ”ワシら毎日交通事故に会うてるようなもんです!” と零したのを思い出す。

  さてこれからの大相撲、日本人のなり手が益々減り、外人枠の規制も厳しくなっている。どちらの
方向へもって行くのか、冷ややかに見つめたい。 貴乃花革命が起こることを少々期待しながら・・・

  毎場所、番付表を送り続けてくれる部屋もあり、お袋がその気になれば、差入れ持って久し振りに
大阪場所を覗きに行ってみようかと思っている。
                                             
                                             僕の細道 by 真照                                     

在日外国人

  お騒がせ男・朝青龍が漸く引退した。 今回の理事選のゴタゴタも含めて、遅すぎた結論で相撲協会の
体質が疑われる。 母親が大相撲ファンなので毎年大阪場所は見にいっていたが、ここ数年モンゴル相撲
?になってからは止めている。                        
                                     モンゴルへ移してしまえ国技館

  最近の升席相場は知らないが、当時は@1万円余りX4人で定価は5万円程度のものがお茶屋の弁当
土産付きで15〜20万円もした。お茶屋を通さないと切符が手に入らなく、かなりのコネも要り、手当てに
苦労したのを思い出す。 親交のあったS組の親分などは毎年同じ席で見ておった。毎回連れている女は
別人だったと記憶している。

  尤もお茶屋や親分にその様な利権があるのにも理由がある。大相撲が未だ隆盛でなかった頃、彼等は
切符の買取や場内整備、地方巡業の勧進元として陰で支えてきた歴史もあるので一概に非難できない。

  それにしても朝青龍は強過ぎた。(=日本人が弱すぎる?) そのうえ態度が悪過ぎた。私などは強くて
態度の悪い奴を見ると、何事に関わらず反発を覚える。 金にまかせて良い選手を集めまくる巨人なども
同様に大嫌いである。 仕事でもそういう輩とは極力お付き合いしないできた。

  さて在日外国人。 日本語学校のお手伝いなどもあって外人との付き合いは結構多い。 多くの人達は
普通の日本人より 好もしい人格の持ち主である。 特に留学生など若い方々に顕著に思う。

  一方 国会で法案化できるかどうかの「外国人地方参政権」については単純に賛成しかねるものがある。
大都市では心配ないとしても、田舎にいけば容易に「外国人街」を創ることが出来る。 日本の中に外国が
存在すると何かと困ることが起きそうである。どうしても参政権の欲しい人は帰化してもらうというのが私の
意見である。 戦時中に無理やり連れて来られた人達の二世・三世には些か申し訳ない気はするが・・・

  子供達が外国で現地の方々のお世話になっている親としては、 此方へ来られている人達には少しでも
日本を好きになってもらいたいと願い、努力している。(心算) しかし”豪に入れば豪に従って”は欲しい。

                                           僕の細道 by 真照

節分と食い倒れ

  今日は節分、明日は立春。我が家でも世間並みに巻き寿司と鰯の夕食であった。今年の恵方は
「西南西」で、黙って巻き寿司を丸カブリした。 何故黙ってするのかは定かではない。 我が家では
昔からそのようにしているので、ニューデリーとウィーンの子供達にも恵方だけはメールしておいた。
鰯の方は以前には頭を玄関脇にある柊の枝に刺していたが、最近は単に食べるだけになっている。

  節分といえば2月の3または4日だと思っている人が多いが、実は年に4回ある。日本には四季が
あり、季節の変わり目の前日は全て節分になる。 立春の前日には色々の行事が催されるが、他の
立夏、立秋、立冬の前日には何もしないのは何故だろう。調べたが、その理由は見当たらなかった。

  その代わり節分の歴史についての解説があったので記しておく。
節分行事は元々「宮中行事」であったそうな。古くは延喜式に記されているそうで、「悪霊(鬼)払い」
の意味があったという。 更に平安になると「追難(ついな)」と呼ばれ、室町では「桃の花」を飾って
邪気払いをしたとある。 1447年の臥雲日件録に「鬼外福内」が初めて出てくる。
「鰯の頭を柊に刺す」や「豆撒き」は近代になってからだそうである。「巻き寿司」の記述はなかった。

  そういえば昔、寿司屋の娘に「節分に巻き寿司を食え!」は、寿司屋の陰謀だろうと言ったところ
「海苔屋の陰謀だ!」と切り替えされたのを思い出す。日本人というのは「○○記念日」を作るのが
得意な人種とみえる。 10日もすれば「バレンタインディ」というチョコ屋の陰謀日がくる。

  ところで今日は、凌霜昼食会でゼミ後輩のM氏が「食い倒れ」と題した講演をしてくれた。沢山の
興味深いデータを見せてくれたが、プロジェクターとやらでドンドン出してくるのでノートする間もなく
ボケたアタマでは記憶しようもなかった。 話の中身も殆んど覚えていない。 面白い話だった丈に
披露できないのが残念である。 テーマとサワリだけを列挙しておく。

1、本物の老舗とは・・・100年(3代)以上続いており、スケールに関係なく未だ盛業中をいう。 
2、花の下影という本・・・花〜鼻の下=口。日本の食文化の集大成だそうな。
3、ミシュランガイド・・・外人向けの選定基準で日本を測っている。碌なもんやない。
4、食の不祥事・・・一過性・一個店のこととして風化させてはいけない。
5、くいだおれ太郎に学ぶこと・・・時代の波に流されて店は閉めたが、太郎は生きている。
6、近世食い倒れ考・・・言葉の意味や範囲がゴチャゴチャになっていないか?

  京都の「着倒れ」、大阪の「食い倒れ」、神戸の「履き倒れ」といわれるが、大阪は量で東京に、質で
京都に完全に負けている。 「食文化」というトータルな視点から大阪の復権を目指さねばならない。
 
  「出光イズム」の講演会は所用のため残念ながら欠席した。           僕の細道 by 真照

宝塚三高.

  2月1日、例月なら三社参りをする日であったが、早起きができない私には10時から始まる
武庫川クラブ川柳会の前に行ってくるなどという芸当は到底できない。年寄りは目覚めが早い
そうだから、その点で私は十分に若いといえる。

  ところで此の武庫川クラブというのは宝塚ホテルに事務局を置き、近郊のヤンゴトナキ方々
約250名で構成している。 昨年70周年を祝ったくらいだから歴史も十分である。メンバーの
特色を一言でいうと「三高」になる。即ち、高学歴・高資産・高齢の善男善女?の集いといえる。

  入会資格もかなり煩く、2人の推薦と X X 委員会とやらの同意がいるそうな。 私の場合は
もう直ぐ13回忌を迎える家内の叔父貴から相続?した会員であり、現在資格審査をされたら
入会不能だと思う。

  この会は実に色々趣味の会を催している。囲碁・将棋・絵画・写真・旅行・俳句・短歌・川柳
ETCと豊富であり、もちろん月例会もある。 この例会には著名な芸術家を呼んでのディナー
ショウで、当月に誕生日を迎えた人達のお祝い会にもなっている。  今年の秋には三女にも
お声が掛かっているが、F 1 の開催と時期が合うとベストだと思っている。
一方会員メリットで最大の物は「宝塚歌劇」のチケットが取れるということで家族は喜んでおる。
 
  もう10年以上なるが、出席したのは只の2回だけである。 1回目は入会紹介で、「 Happy
Birth Day to You 」を歌わされたのに参った。 エエ齢して「誕生日おめでとう」でもあるまい。
2回目は川柳部(10名未満はクラブから僅部費が出ない)に2名増員を頼まれた時である。

  さて川柳会、発足3年とまだ新しく会員11名のうち 9名はキャリアが 3年未満と浅いので
一度プロの話を聞きたいということになった。 そこで 「うめだ番傘川柳会」 の会長 T 女史に
お出まし願った。流石に専門家だけあって有意義な話を沢山聞くことが出来たし、なによりも
素人同士がやっていた選句の仕方や心構えが参考になった。 

  12時前に終わった例会(毎月第一月曜日)のあと、旧暦の正月とて新年会とあいなった。
新年会のあと T 女史を含めて7名で「空オケ」にまで繰り出した。更には自宅へも招待した。
結局12時から6時までの6時間、焼酎のストレートをがぶ飲みした。量的にどれ位だったか
定かではないが、皆さんが帰られた後直ぐに寝たらしい。 起きたのは夜中の2時で、すこし
仕事を整理して、継ぎ寝から目が覚めたのは11時になっていた。

  流石に今日はシンドイ! 昨日取れなかった携帯電話の後始末だけでも大変で、月初め
の諸作業に終日追われ、三社参りは順延となった。明日は凌霜の定例昼食会があるうえに
午後は六甲台講堂で「出光イズム」の講演会もあるので、お参り果たして行けるかな・・・?
習慣になっていることが出来ないと何となく落ち着かない。
 
    酒もうチョット慎まんと・・・  ガム噛んで薄化粧して盗み酒   僕の細道 by 真照
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